そもそも”働く”という単語の語源は、「傍を楽にする」というところから来ているらしいと友人から教わりました。事の真偽は定かではありませんが、まさに言い得て妙。
と同時に、 「つまり、働くということはそもそも語源からして、自分のためじゃなくて他人のためにする行為だと認識されてきたってことか」 と、ぽかんとしてしまいました。 いや、なんていうか、わりと”自己実現のために働く”的な物の考え方が最近の流行になってきているし、自分自身そういう感じでいままで”働く”ということを捉えてきた側面が強いだけに、肩透かしをくらったような徒労感があってさ。いや、厭じゃないんだけど。 出版社に転職してからというもの、そのことをひしひしと感じることがある。 この仕事は本当に好きだし、実際に働いてみて感じる理想と現実のギャップみたいなのも全くといっていいほど無いし、職場の同僚・先輩後輩・上司にも恵まれているし。 なにより、いざ取材や企画、執筆や編集となるともう、給料のことなんか忘れてひたすらクオリティの高い、読者に響くものを!と真剣に仕事に没頭する自分がいる。こんなの、以前の職場では考えられなかった。なにより、周囲の人が自分のアイディアや仕事ぶりを 「助かった」 「よくやった」 と言ってくれるのが嬉しい。俺は今たしかに、「傍楽」ことができている。その充実感は、想像以上に自分に”生き甲斐”のようなものを感じさせてくれた。正直いって意外だった。死にたいと思うことは、ほとんど全くといっていいほどなくなった。 それまでは耐えられないほど自分を苛んだ、芸術(特に音楽)の分野で成功できていないことへの悔しさや、実際に音楽で身を立てることができている友人のプロミュージシャンたちへの嫉妬はだんだん、熱がひくように薄れていった。局アナとして働く友人を見てもなんとも思わなくなったから不思議なものだ。 (アナウンサーについては、局アナという身分ではないものの、自分自身がプロの端くれとして声を使って仕事をすることができているからというのが大きいのかもしれない。ようするに隣の芝を青く思っていたに過ぎない、幼稚な嫉妬だったということだろう) ごく稀に、特に深夜残業でキツいときなど、去年別れた元恋人のことを思って恨めしく思うこともある。あいつは、こんな苦労なんて一生知らずに毎日、聴衆から拍手喝采を浴びて幸せに生きていくんだろうな、と都合のいい想像で自分と比較したりして。 でも、今このタイミングでトントン拍子に物事が進んで異業種未経験転職ができたり、今の職場で自分の特性やセンス、経験が存分に仕事に活かせているあたり、どう考えても目にみえない縁で結ばれ、導かれてここに辿り着いたというのをひしひしと感じる。つまりこれは、ここで”傍楽”ことがお前の今の使命なのだという天からの思し召しなのだと思えばやっぱり気が楽だ。自分が何をしたいのか、何ならできるのか、何をすれば充実した人生といえるのかが全く見えずにいる人だって大勢いるなかで、これだけクリアに目の前が見えているというのはかなり恵まれたほうだと思わざるをえない。 そう思えたとき、ちっぽけな自分の意地やエゴのようなものが全部どうでもよくなって、 「俺は雑誌創ってこの世に貢献するから、お前は音楽でこの世に貢献してくれ。お互い、自分に割り当てられた仕事をちゃんとこなして、堂々と胸を張ってあの世に帰ろうぜ」 なんて臭いことを真剣に考える自分がいた。
by ruh23
| 2005-08-25 11:09
| 仕事と勉強
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